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名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)322号 判決 1972年7月26日

原告

加藤勝一

被告

富士運送株式会社

ほか一名

主文

原告に対し、被告らは各自金八七一万九六九一円および内金八三一万九六九一円に対する昭和四三年四月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、被告小松原光義は金二四万二〇五〇円およびこれに対する前同日から前同一の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担とし、他の一を被告らの連帯負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は「原告に対し被告らは、各自金一七七九万七七九三円および内金一七三九万七七九三円に対する昭和四三年四月二一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、被告小松原光義は金四四万七五〇〇円およびこれに対する前同日から支払ずみまで前同一の割合による金員をそれぞれ支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、次のとおり述べた。

一  被告小松原光義は、昭和四三年四月二〇日被告富士運送株式会社所有の貨物自動車(香一あ第二九六九号)を運転し時速約五五キロメートルの速度で国道一号線道路上を西進し、同日午前七時五分ごろ静岡県浜名郡新居町新居三三八七番地の四先の三差路に差しかかつた際、右三差路に設置された信号機がすでに赤色の信号を表示していたため前車に続いて信号待ちをしていた原告運転の小型貨物自動車(横浜四ほ第五三五一号)の後部に追突し、その衝撃により原告に対し頭部・頸部挫傷および脳震盪症等の傷害を負わせ、そのため原告は、意識不明の状態に陥り、ただちに救急車で最寄りの湖西病院に運び込まれ、同日から同年同月二五日まで同病院に入院して治療を受けたが、その後意識も回復したので、看護の関係などから、前同日名古屋市内に所在の坂文種報徳会病院に転院し、同年五月二二日に退院後同年六月一〇日まで同病院に通院して引き続き治療を受けた。しかし、その症状がはつきりしなかつたため、同病院の担当医師の指示により翌一一日同市内に所在の中部労災病院に入院し、治療を受けていたが、前同様担当医師の指示で同年八月二日一旦退院のうえ、通院治療を続けていたところ、再び症状が悪化したので、同月二七日同病院に二度目の入院をし、同年一〇月一日ようやく退院の運びとなり、そして、右退院後も昭和四六年一一月二二日まで引続き同病院に通院して治療を継続し、なお、この間、昭和四三年九月中旬ごろ眼球に異常が生じたため、前記医師の指示により、そのころ同市内に所在の名鉄眼科に赴き診察を受けた。

二  本件事故は被告小松原の過失によつて惹起されたものである。すなわち、同被告は進路の前方を注視して運転すべきであることはもちろん、本件事故現場のような三差路に差しかかつた場合には、同所に設置された信号機の表示する信号に従つて停止し、信号待ちの前車との追突事故を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、漫然、高速のまま加害車を運転進行し続けた結果、本件被害車に追突する事故を惹起したものである。したがつて、被告小松原は不法行為者として民法七〇九条により、また被告会社は右加害車を所有し、これを自己のため運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条により原告が右事故のため被つた損害の賠償責任がある。

三  原告は本件事故によつて次の損害を被つた。すなわち、

1  入院費および治療費 金六七万〇四〇九円

(一)  湖西病院に対する支払分 金四万五三九八円(ただし、昭和四三年四月二〇日から同年同月二五日までの入院治療費)

(二)  坂文種報徳会病院に対する支払分 金七万一六六七円(ただし、同年四月二五日から六月一〇日までの入、通院による治療費)

(三)  中部労災病院に対する支払分 金五五万二九五九円(ただし、同年六月一一日から昭和四六年一一月二二日までの入、通院による治療費)

(四)  名鉄病院に対する支払分 金三八五円

2  通院費 金一〇万九七三〇円

(一)  坂文種報徳会病院への通院分 金四万一〇七〇円

昭和四三年五月二三日から同年六月一〇日まで前記坂文種報徳会病院へ通院するのに要したタクシー代 金四万一〇七〇円

(二)  中部労災病院への通院分 金六万八六六〇円

(1) 昭和四三年八月三日から同年一一月一二日までの間に前記中部労災病院へ五〇日通院するのに要したタクシー代 金三万三八八〇円

(2) 同年一一月一三日から昭和四五年六月二〇日までの間、名古屋市千種区高見町五丁目に所在の当時の自宅より右病院へ二一四日通院するのに要した電車賃 金二万七八二〇円(ただし、通院一日につき地下鉄「池下駅」から同「金山橋駅」まで往復金八〇円と市電「金山橋」停留所から同「中部労災前」停留所まで往復金五〇円の合計金一三〇円の割合による)

(3) 昭和四五年六月二一日から昭和四六年一一月二二日までの間、津島市内に所在の原告の実家より同病院へ二四日通院するのに要した電車賃金六九六〇円(ただし、通院一日につき名鉄「津島駅」から同「金山橋駅」まで往復金二四〇円と市電「金山橋」停留所から同「中部労災前」停留所まで往復金五〇円の合計金二九〇円の割合による)

3  休業損害等 金一三一八万円

原告は、本件事故当時、年令二六才の極めて健康な男子で、昭和四三年一月五日から大型貨物自動車(ダンプカー)一台を所有して残土の運搬業を営んできたもので、右事故当時一か月金四一万四三三三円の営業収入(右事故前三か月間の収入の平均額)を挙げ、これからガソリン等の必要経費金一一万四三三三円を控除しても、優に月額金三〇万円の利益を得ていたものである(ちなみに、原告は、営業用の右自動車をかなり大切に取り扱つていたため、故障や破損は少なく、たとい修理を要する場合にも、過去の自動車修理の技術、経験を活かして自力ですべて行うので、修理費の支出はほとんど皆無に等しく、またタイヤなども、右経験から比較的安価に入手し、かつこれを無駄なく利用していたから、営業に必要な経費は普通の場合より遙かに少なくて済むのである)。しかるに、原告は、本件事故による受傷の治療のため前記のとおり入、通院し、休業を余儀なくされたことなどにより、次の損害を被つた。すなわち、

(一)  休業損害 金七二〇万円

原告は、本件事故による受傷およびその治療のため、右事故の翌日である昭和四三年四月二一日から昭和四五年四月ごろまで約二年間休業し、その間、一か月につき右金三〇万円の割合による合計金七二〇万円の営業利益を挙げることができず、同額の休業損害を被つた。

(二)  労働能力の低下による損害 金五九八万円

(1) その後、原告は、昭和四五年五月ごろから昭和四六年五月ごろまでの約一年間、気分の良好な日だけ稼働準備のため知人などの許で自動車運転助手等のアルバイト仕事に従事して一か月あたり金一万円位の収入を得たので、本件事故前の一か月金三〇万円の前記営業利益からすると、一か月につき金二九万円の減収となり、したがつて、右期間の減収による損害額は合計金三四八万円となる。

(2) さらに、原告は、昭和四六年六月に至つて名古屋市中川区広住町所在の運送会社「阿部運輸」に自動車運転助手として就職し、一か月金五万円の収入をうるようになり、現在(昭和四七年三月)に及んでいるが、本件事故前の前記営業利益と比べると、一か月につき金二五万円の減収となり、したがつて、現在まで一〇か月の右期間の減収による損害額は金二五〇万円となる。

4  逸失利益 金二〇一万九五一九円

原告は、本件事故による受傷後の症状などにより、現在まで小型貨物自動車の運転助手として稼働してきたが、今日(昭和四七年四月)以降は前記運送会社で大型貨物自動車の運転助手の仕事に従事することにしており、給料も一か月金七万円に昇給する見込であるが、それにしても、本件事故前の前記営業利益からすれば、一か月につき金二三万円の減収になり、そして、原告が本件事故前と同様に自動車を運転して従前の営業に従事できるようになるまでは、今年末までなお少くとも九か月間を要するので、この期間の減収額は金二〇七万円となるが、これをいま一時に請求するので、中間利益を控除すると、その現在価は金二〇一万九五一九円となる。

5  入院雑費 金二万〇七一六円

(一)  下着等の購入費 金一万〇六九五円

(二)  日用品費 金七六〇一円

(三)  新聞代 金一九六〇円

(四)  電気ガス使用料 金四六〇円

6  付添い看護費 金四二〇〇円

原告の前記入院期間中にその母親が付添い看護をした。

7  電話代 金三万四〇六九円

ただし、右は被告らに対し本件事故による損害賠償の請求のため原告が使用した電話の料金である。

8  原告の被害車の破損による損害 金三九万二五〇〇円

9  右車両引揚げのための運搬費 金五万五〇〇〇円

10  諸雑費 金五万九一五〇円

(一)  診断書代 金四六〇〇円

(二)  その他 金五万四五五〇円

(1) 入・退院時の自動車賃等 金三二二〇円

(2) めがね代 金二万八一五〇円

(3) 医師等に対する心付け 金一万七八七〇円

(4) 訴訟準備費用(自動車賃等) 金五三一〇円

11  慰藉料 金二三五万円

原告は、本件事故により意識不明の状態に陥るほどの衝撃を受けた後、長期間入・通院し、受傷後三年を経過した昭和四六年六月ごろに至つてようやく運送会社に自動車運転助手の職を得ることができるようになつたけれども、いまだに運転手として稼働できる状態までに回復せず、現在なお月二回位通院を継続しており、今後どれ位治療すれば全治するかも判らない有様で、この間の肉体的、精神的苦痛と経済的負担には計り知れないものがあるだけでなく、さきに折角始めた残土の運搬業も本件事故で休業を余儀なくされたまま再起の見とおしがたたず、そのため筆舌に尽し難いほどの前途の不安に襲われ、また意識不明の状態になるほど頭部に傷害を受けたことから、原告の妻は到底回復不能とみたためか、原告の入院中にいかなる手続を採つたか判然としないが離婚されてしまつた。このような次第で、原告が本件事故によつて被つた精神的損害はなにものによつても償い得ないほどであるが、いまそのすべてを金銭で慰藉するには少くとも金二三五万円を必要とする。

12  弁護士費用 金四〇万円

原告は、被告らに対し右1ないし11の損害の賠償請求権を有するところ、被告会社は昭和四三年八月ごろ金五五万円を支払つたのみで、その後なんらの連絡もなく、その余の損害賠償金の支払をなさないので、原告はこれが損害賠償請求のためやむなく弁護士増田庄一郎に本訴の提起、追行を委任し、手数料として金一〇万円を支払つたほか、報酬金として金三〇万円を第一審判決言渡しの日に支払う旨の約束をした。

四  よつて、原告は、被告らに対し右三の1ないし12の損害のうち、8および9を除くその余の人的損害合計額金一八八四万七七九三円の損害賠償請求権を有するところ、被告会社は原告に前記のとおり昭和四三年八月ごろ治療費として金五五万円を支払い、また原告は同年九、一〇月ごろ自賠責保険から金五〇万円の給付を受けたので、被告らに対し、この合計金一〇五万円を前記損害合計額から控除した残額金一七七九万七七九三円および内、前記三の12の弁護士費用金四〇万円を除くその余の金一七三九万七七九三円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四三年四月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を、また被告小松原に対し前記三の8および9の物件損害合計額金四四万七五〇〇円およびこれに対する前同日から前同一の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める。

以上のとおり述べ、

被告らの主張に対し、

原告が本件残土の運搬業を営むのについて法令に定める免許を受けていなかつたことは認めるが、その余は争う。

すなわち、免許を受けないで自動車運送業を営むことが、道路運送法に違反する行為であるにしても、それによる逸失利益の損害の賠償を法的に拒否しなければならないほどの強い違法性があるものではない。同じく法令違反の行為であつても、一般の犯罪や売春、賭博などとは、その性質はもちろん、社会的影響も社会的認識も当然異なるものであり、したがつて、その違法性の程度とこれに対する社会的認識ないし社会的評価も全く異なる。今日の社会的情勢が敢て本件残土の運送業の如きを放任し、容認していることは、これを否定できないのみならず、そのことがまた社会経済的要請であることも看過できない。無免許運送業を、それが道路運送法に違反するとの一事をもつて、法の保護の埒外に置くことは、右の社会経済的要請とこれにこたえる諸企業、ことに土木建設業やそれに奉仕する運送業が現実に果している使命と役割りを無視するものであり、また道路運送法の立法趣旨を誤解するものである。

原告が従事していた道路建設事業は、産業の基幹をなすもので、これなくして産業の発展は期待し得ないものである。したがつて、無免許運送業者の自動車が横行することは決して望ましいことでないにしろ、社会はこれを違法視し、犯罪視していないばかりでなく、むしろ放任ないし容認しているのが現状である。もしこれを問題視するものがあるとすれば、せいぜい同業者の批判が挙げられるに過ぎないが、それはその同業者の独占欲の然らしめるところである。それ故、無免許運送業者が営業停止処分や刑罰を受けたことはほとんどない。

不法行為に基づく損害賠償制度は、故意、過失によつて侵害された利益を加害者に賠償させることによつて、被害者の救済を図り、もつて公平の理念を実現しようとするものである。したがつて、侵害された利益が、一般の犯罪行為あるいはその行為の継続によつて得られるものである場合はいざ知らず、たとえ、偶々行政取締法規に反するものであつても、現実に生じあるいは生ずべき損害は、これを加害者に賠償せしめるのが最も公平といわねばならないし、またこのように解さなければ、加害者は、営業免許の有無という全く予期もしない偶然的事実によつて賠償責任を問われたり、免れたりすることになつて極めて不当でもある。

と述べた。〔証拠関係略〕

被告ら訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁および被告らの主張として、次のとおり述べた。

一1  原告の請求原因事実一のうち、原告主張の日時、場所において本件事故が発生したことは認めるが、右事故の内容および原告の受傷の部位ならびに原告がその主張のように長期の通院加療の必要があつたことは否認。その余は不知である。

2  同二のうち、被告会社が本件事故車を所有し、被告小松原をしてこれを自己のため運行の用に供していたことは認めるが、その余は争う。

3  同三はすべて争う。なお、原告は、仮に本件事故前三か月間の平均で金四一万四三三三円の月収を挙げていたとしても、それは、右事故当時は残土の運搬業を開業した直後であり、車両の月賦代などの支払のためもあつて、帰宅まで差し控えて原告ががむしやらに稼働した結果の然らしめるところであり、このような自己の健康をも顧みない重労働が長期間継続できるとは思われない。

4  同四のうち、原告が被告会社から金五五万円の支払と自賠責保険から金五〇万円の給付を受けたことは認めるが、その余は争う。

二  しかしながら、仮に、原告が、本件事故当時、残土の運搬業を営んでいたとしても、そもそもこの種の自動車運送事業はその経営について免許を受けることを必要とし、無免許で右自動車運送事業を行う違反者に対しては刑罰を科し、かつ自動車の使用を停止することがある(道路運送法四三条、一〇二条)ほど強く規制されている。しかるに、原告は無免許で右運搬業に従事していたもので、これに対しては右のような規制がなされていることに徴し、原告の右営業が本件事故後もその儘将来にわたつて継続されうる蓋然性は非常に低いから、原告が右事故で受傷したことを理由として将来の逸失利益の損害の賠償を請求することは許されない。

以上のとおり述べた。〔証拠関係略〕

理由

一  昭和四三年四月二〇日午前七時五分ごろ静岡県浜名郡新居浜町新居三三八七番地の四先の三差路で被告小松原光義運転の貨物自動車と原告運転の自動車の衝突事故が発生したことは当事者間に争いがなく、右事実に〔証拠略〕を総合すると、原告は、前同日同時刻ごろ小型貨物自動車(横浜四ほ第五二五一号)を運転し、静岡県浜名郡新居町地内の国道一号線道路上を訴外川津照夫運転の大型貨物自動車の後方一〇米位に追従して西進し、同町新居三三八七番地の四先の信号機の設置された三差路に差しかかり、右前車が信号機の黄色の表示に従つて先ず停止したのに続いて、原告もまたその後方二・三米の地点に停止したところ、原告の自動車の後方約三〇米附近を普通貨物自動車(香一あ第二九六九号)を運転、追従し時速約五〇粁の速度で同一方向に進行していた被告小松原光義が原告などの先行車の動静に対する注意を怠り、漫然と進行し続けたため、原告の自動車が前記のとおり停止したのに気が付かず、約一四、五米に接近してようやくこれを発見するや、急停車の措置を採つたけれども、間に合わず、その自動車の前部を原告の自動車の後部に追突させたので、原告は、その衝撃により自車をさらにその直前に停止していた前記川津運転の大型貨物自動車の後部に追突させ、その結果、原告は、頭頸部挫傷および脳震盪症等の傷害を負つて一時意識不明の状態に陥り、ただちに同県同郡湖西町鷲津二二五九番地の一所在の同町立湖西病院に運び込まれ、爾来、同病院で治療を受けていたが、近親者の見舞いや看護を受けるのに不便なことなどから、同年同月二五日名古屋市中川区八幡町二丁目八番地所在の坂文種報徳会病院に転院し、同年五月二二日に退院後も同病院に通院して同年六月一〇日まで一九日間治療を続けたけれども、経過が思わしくないうえ、同病院には脳外科の専門医がいないことから、担当医師の勧めにより同年同月一一日同市港区港明町一丁目三一番地所在の中部労災病院に転入院したところ、その後症状がいくらか軽快したので、同年八月二日一応退院のうえ、翌三日から同病院に通院して治療と経過の観察を受け続けた。しかし、その後もなお頭痛、ふらつき、悪心などの症状が軽快しないことなどから、原告は、同年八月二七日再び右中部労災病院に入院して治療を受け始め、同年一〇月一日ようやく退院し、翌二日から同病院に通院して治療を受け続けたが、完治するに至らず、昭和四四年一二月ごろには頭部痛などの自覚的症状および平衡機能障害と脳波の異常などの他覚的症状が大体固定し、このような神経系統の機能障害により、原告の服することができる労務は相当な程度に制限され、右頭部外傷後遺症(労働者災害補償保険法所定の障害等級別九級一四号該当)のため昭和四五年六月当時においても一週間に一日程度病院通いをし、昭和四六年一一月当時においてもなお頭重感、頭痛、両頸肩痛が時々あり、なお、この間、原告は、本件事故による受傷が原因で遠視性乱視が出現したため、昭和四三年一〇月ごろ名古屋市中村区所在の名鉄眼科診療所で検査を受け眼鏡を装用したことが認められ、右認定を左右するに足りる適当な証拠はない。

二  右事実によれば、本件事故は被告小松原が前方の注視を怠り、不注意にも進路上の三差路に設置された信号機の表示する信号を看過して漫然と自動車を運転し進行した過失に基因することが明白であるから、同被告は、民法七〇九条により右事故のため原告の被つた人的、物的全損害を、また被告会社が右自動車を所有し、被告小松原をしてこれを自己のため運行の用に供していたものであることは当事者間に争いがないので、免責の主張のない本件において、同会社は、自動車損害賠償保障法三条により原告が右事故のため被つた人的損害をそれぞれ賠償すべき義務があるものといわねばならない。

三  よつて、以下に原告の被つた損害額について判断する。

1  治療費

(一)  〔証拠略〕によれば、原告は前記湖西病院に対し前記入院期間中の治療費として金四万五三九八円を支払つたことが認められ、

(二)  〔証拠略〕によれば、原告は前記坂文種報徳会病院に対し前記入、通院期間中の治療費として金七万一六六七円を支払つたことが認められ、

(三)  〔証拠略〕によれば、原告は前記中部労災病院に対し、昭和四三年六月一一日から同年八月二日までおよび同年同月二七日から同年一〇月一日までの前記各入院期間と同年八月三日から同年同月二六日までおよび同年一〇月二日から昭和四六年一一月二二日までの各通院期間中の治療費として合計金五五万二九五八円を支払つたことが認められ、

(四)  〔証拠略〕によれば、原告は前記名鉄眼科診療所に対し検診費として金三八五円を支払つたことが認められ、

そうすると、以上(一)ないし(四)の治療費合計金六七万〇四〇八円は本件事故による受傷のため原告が被つた損害と認めざるを得ない。

2  通院費

(一)  〔証拠略〕によれば、原告は、前記のとおり坂文種報徳会病院を昭和四三年五月二二日に退院後、津島市今市場町一の一二の実家に帰り、翌二三日から同年六月九日まで右実家より一五回にわたり、そして同年同月一〇日は名古屋市昭和区小針町所在の当時の自宅より、いずれも右坂文種報徳会病院へ往復ともタクシーで通院し、その料金として合計金三万九九一〇円(ただし、甲第三号証の三一によつて認められる同年六月八日の原告の右実家より尾頭橋を経て中部労災病院に至る区間のタクシー料金二三六〇円のうち、金一二〇〇円のみを右通院に要したものと認める。)を支払つたことが認められ、

(二)  〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四三年八月三日から同年同月二六日までの間に一七回と同年一〇月二日から同年一一月一二日までの間に三二回にわたり、前記中部労災病院へ通院のため、主として名古屋市昭和区小針町所在の当時の自宅もしくは時に津島市内の前記実家からほぼ往復ともタクシーを使用し、その料金として合計金三万二八八〇円を支払つたことが認められ、

(三)  右(二)の事実に〔証拠略〕を総合すれば、原告は、昭和四三年一一月一三日から昭和四五年六月一九日までの間、名古屋市千種区高見町五丁目所在の当時の自宅より右中部労災病院へ前後二〇六回にわたつて地下鉄と市電で通院するために、電車賃として合計金二万六七八〇円(ただし、通院一回につき地下鉄「池下駅」から同「金山橋駅」まで往復金八〇円と市電「金山橋」停留所から同「中部労災前」停留所まで往復金五〇円の合計金一三〇円の割合)と、同年六月二〇日から昭和四六年一一月二二日までの間、津島市内に所在の前記実家から同病院へ前後二四日にわたつて名鉄電車と市電で通院するのに、前同様に電車賃として合計金四〇八〇円(ただし、通院一回につき名鉄「津島駅」から同「金山橋駅」まで往復金一二〇円と市電「金山橋」停留所から同「中部労災前」停留所まで往復金五〇円の合計金一七〇円の割合)、以上合計金三万〇八六〇円の支出を要したことが認められ、

したがつて、右(一)ないし(三)の通院費合計金一〇万三六五〇円は本件事故と相当因果関係のある原告の損害と認められる。

3  休業損害

〔証拠略〕を総合すると、原告は、本件事故前の昭和四三年一月五日からその所有の大型貨物自動車(ダンプカー)一台をもつて愛知県海部郡七宝町字秋竹七二番地所在の建材業「夫馬商店」こと夫馬泰助から請け負つた残土の運搬仕事に従事し始め、同年三月末ごろまでの三か月間に合計金一二四万三〇〇〇円の運搬賃収入を挙げ、これからおおむねその三割程度のガソリン・オイル代、修繕費損耗費、消却費その他の必要経費を差し引くと、一か月あたり金二九万円程度の収益を挙げている間、右事故に遭遇したこと、ところで、夫馬商店の右残土運搬の請負仕事は、同年の田植え時までの四月、五月二か月間をもつて終了し、永続する訳のものではなかつたので、原告としては、同年六月以降の仕事先を自分で探さなければならないが、残土の運搬業を始めた矢先きのこととて、他に夫馬商店の仕事と同程度の収入を挙げうる確たる仕事先の目当てがなかつたこと、そして、自己所有のダンプカー一台を運転して行うこの種の残土運搬業は仕事の繁閑の度合が著しく、したがつて、その収入にもむらがあり、決して一様ではなかつたこと、しかし、当時の愛知県下におけるダンプカー一台をもつてする正規の土砂運搬業者の一か月あたりの平均収入は金二五万円前後で、これからその三割程度の前同様の必要経費を差し引いた残額金一七万五〇〇〇円位の収益は、原告も同年六月以降にこれを挙げ得たであろうこと、原告は、本件事故による受傷およびその治療と右受傷の後遺症のため、右事故発生の日の翌日である同年四月二一日から昭和四五年四月ごろまでほぼ二年間にわたつて休業を余儀なくされ、その間、前記夫馬商店その他の仕事先からの残土運搬業による営業収益を挙げ得なかつたことが認められ、〔証拠略〕中、右認定に牴触する部分は信用せず、その他に右認定を左右するに足りる適当な証拠はなく、右認定の事実よりすると、原告が本件事故による受傷のため被つた休業損害は金四四一万一六六六円(ただし、円位未満の端数切捨)となる筋合である。

4  逸失利益

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故による受傷の治療を長らく受け続けた結果、昭和四四年一二月ごろには、前記一のとおり、頭部痛や平衡機能障害、脳波異常などの頭部外傷後遺症(労働者災害補償保険法所定の障害等級別九級一四号該当)を残してその症状が大体固定したけれども、右後遺障害のため、昭和四五年五月ごろ以降においても、本件事故前のようにひとりでダンプカーを運転して残土の運搬仕事に就くことなどが到底できず、該症状が徐々に軽快に向うに従つて自動車運転助手などの仕事に就いて若干の収入を得ながら再起を待ち望んで現在に及んでいることが認められ、右事実、就中、原告の右後遺障害の性質およびその程度などに徴してみれば、原告は昭和四五年五月ごろから将来右後遺障害が完全に解消するに至るであろうころまでの少くとも四年間は同障害のために平均してその労働能力の三五パーセントを一時喪失するものと認めるのを相当とし、そうだとすると、原告は右後遺障害による労働能力の一部喪失による逸失利益と同額の損害を被る理であるが、この四年の期間と三五パーセントの労働能力喪失割合に前記3でみたとおり愛知県下における原告と同種の正規営業者の一か月平均収益額金一七万五〇〇〇円を基礎とし、ホフマン式計算法により中間利息を控除して計算すると、その額は金二六一万円(175,000円×12×0.35×3.5643=2,619,760.5円ただし、一万円位未満の端数切捨)となる。

ところで、被告らは、原告は無免許で残土の運搬業を営んでいたものであるが、このように無免許で自動車運送事業を行う違反者に対しては、道路運送法に基づいて刑罰を科し、かつ自動車の使用を停止するなどの規制がなされているので、原告の右営業が本件事故後もその儘将来にわたつて継続されうる蓋然性は非常に低く、したがつて原告が本件事故による受傷を理由として将来の逸失利益の損害の賠償を請求することは許されないと主張し、しかして、原告が本件残土の運搬業を営むのについて法律に定める免許を受けていなかつたことは、原告の自認するところであるから、原告の自動車をもつて本件残土の運搬事業の経営は道路運送法四条一項に違反し、処罰その他自動車の使用制限、禁止等同法の定める処分の対象となりうるものではあるということができる。しかしながら、道路運送法四条一項の事業免許制は、事業経営による営利自体を直接規制しようとするものではないので、無免許営業だからといつて当然に反道徳的、かつ醜悪な行為ということはできないし、その違法性は微弱で、これによる営業利益は法の保護に値しないものともいえないのみならず、被告の問題視する無免許営業者に対する規制にしてみても、〔証拠略〕によれば、愛知県陸運事務所管内において、無免許営業者に対する措置として告訴、告発の行われた事例は皆無であり、また車両の使用禁止処分のなされた事例としては昭和四〇年度から同四二年度までと昭和四五年度においては皆無、昭和四三年度に四件(六両)、同四四年度に二件(二両)みられるに過ぎないことが認められ、したがつて、原告の自動車をもつてする前記残土の運搬事業が本件事故後その儘継続されうる蓋然性が被告ら主張のように非常に低いものとは到底認め難い。されば、原告は前記逸失利益の喪失による損害の賠償を請求することができるものと解するのを相当とするから、被告らの右主張は採用できない。

5  入院雑費

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故による受傷の治療のため、前記坂文種報徳会病院および中部労災病院に入院中、下着類、日用品などの購入、新聞の購読、電気・ガス使用のため合計金一万〇〇四三円を支払つたことが認められ、したがつて、右金一万〇〇四三円は本件事故と相当因果関係のある入院雑費として原告の損害にあたるといわざるを得ないが、原告主張のその余の入院雑費金一万〇六七三円(下着類、日用品の購入費の一部)についてはこれを右事故と相当因果関係のあることを認めるに足りる適当な証拠がないので、これが損害の認定をなし難い。

6  付添い看護費

〔証拠略〕によれば、原告の妻雪子は、原告が昭和四三年四月二〇日から同月二五日まで前記湖西病院に入院中、同人に附添つて看護したことおよび右附添が必要やむを得ないものであつたことが認められるから、その附添い看護費金四二〇〇円(一日あたり金七〇〇円の割合)は本件事故によつて生じた原告の損害にあたるものと認められる。

7  電話代

〔証拠略〕によれば、被告らは、本件事故後、原告の許に一度も顔を出さず、また電話をかけることもしなかつたので、原告は、被告らに対し昭和四三年四月二六日から同年九月二九日まで前後約一六回にわたり電話で治療費その他の損害賠償の請求を繰り返したが、被告側であまり誠意を示さなかつたので、やむなく昭和四四年二月五日本件提訴に及んだものであることおよび右電話代として原告はそのころ合計金二万八八八四円を支払つたことが認められ、したがつて、このような裁判外の賠償請求に要した電話代金二万八八八四円はまた原告が本件事故のため支出を余儀なくされた損害と認められるが、右金額を越える電話代については、これを認めるに足りる適当な証拠がない。

8  原告の車両破損による損害

〔証拠略〕によれば、原告は、昭和四三年四月一日神奈川県厚木市戸田一〇七三番地所在の岩崎自動車修理工場こと岩崎忠雄から中古普通貨物自動車トヨダ・ダイナD三九年式(横浜四ほ五三五一号)一台を車両価格金二八万円、工事代金一一万八〇〇〇円、以上合計金三九万八〇〇〇円で買い受ける契約を結び、同年同月一八日内金三〇万円を支払い、残金は同月末に支払う約束で、同月一九日右岩崎自動車修理工場に出向いて右自動車の引渡しを受け、これを名古屋市まで原告自身の手で陸送して帰る途中、本件事故に遭遇して右自動車が損傷を被つたことおよび右損傷箇所の修理は可能で、そのためには修理費として金一八万七〇五〇円の支出を要することが認められる。もつとも、〔証拠略〕によれば、右被害車の昭和四四年四月当時の価格が金七〇〇〇円と査定されたことが認められるけれども、該証拠は、これを〔証拠略〕と対比して考えてみると、必ずしも右被害車の修理の能否までを明らかにした趣旨のものとは解し難いから、右認定に牴触するものではなく、その他に右認定を左右するに足りる適当な証拠はない。そうすると、原告は、本件事故によりその所有自動車に破損を受けたため、これが修理に要する費用金一八万七〇五〇円と同額の損害を被つたものといわざるを得ない。

9  右被害車引揚げのための運搬費

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故後、その所有にかかる本件被害車を前記岩崎自動車修理工場こと岩崎忠雄に委託してレツカー車で右事故現場から同工場に運入させ、その運搬代金として金五万五〇〇〇円を支払つたことが認められ、したがつて、右運搬代金五万五〇〇〇円は原告が本件事故のため支出を余儀なくされた損害といわざるを得ない。

10  諸雑費

原告は、本件事故のため、(一)診断書代金四六〇〇円、(二)入、退院時の自動車賃等金三二二〇円、(三)めがね代金二万八一五〇円、(四)医師等に対する心付け金一万七八七〇円、(五)訴訟準備費用(自動車賃等)金五三一〇円、以上合計金五万九一五〇円の支出を要したと主張するので、調べてみるに、〔証拠略〕によれば、原告は、その主張の右(二)の入、退院時のタクシー代として合計金三〇一〇円、同(三)のめがね代金二万八一五〇円、同(四)の医師等に対する心付け代金一万七八三〇円を支出したことが認められるので、右(二)の入、退院時のタクシー代金三〇一〇円、同(三)のめがね代のうち金一万円、同(四)の医師等に対する心付け代金一万七八三〇円、以上合計金三万〇八四〇円だけは本件事故と相当因果関係のある支出として原告の損害にあたると認めるが、右(三)のめがね代のその余の金一万八一五〇円および原告主張の右(一)の診断書代と同(五)の訴訟準備費用(自動車賃等)は、後者の費用がたとえ原告によつて支出されたとしても、いずれも本件事故と相当因果関係のある支出であることを認めるに足りる証拠がないから、これが損害の認定をしない。

11  慰藉料

原告が本件事故による受傷のため、長期にわたり入、通院して治療を受け続けたけれども、完治に至らず、頭部外傷後遺症(労働者災害補償保険法所定の後遺障害等級別第九級該当)を残すに至つたことは、前記一に認定したとおりで、これに原告が新規に前記営業を開始した矢先きに本件不慮の災厄に遭遇して右営業を中絶のやむなきに至つたこと、原告の入院加療中にその妻雪子に離婚させられる羽目になつたことその他本件証拠にあらわれた諸般の事情をしんしやくすれば、原告が本件事故によつて被つた精神的損害に対する慰藉料としては、金一五〇万円をもつて相当と認める。

12  保険金等の受領と右控除後の損害額

以上1ないし7、10、11の損害を合計すると、金九三六万九六九一円となるところ、原告が被告会社から本件事故による損害賠償としてすでに金五五万円の支払を受けたほか、本件事故による自動車損害賠償責任保険金五〇万円を受領したことは当事者間に争いのないところであるので、この合計金一〇五万円を右損害額から控除すると、右控除後の原告の損害額は金八三一万九六九一円となる。

13  弁護士費用

〔証拠略〕によれば、原告は、本訴の提起、追行を弁護士増田庄一郎に委任し、その際、着手金として金一〇万円を支払い、右訴訟終了のうえはさらに報酬金三〇万円を支払う約束をしたことが認められ、そして被告らが本件事故による損害の賠償として原告の請求をたやすく容認するものでないことは本件訴訟の経緯に照らして明白である。されば、本件事案の内容、訴訟の経過、弁護士費用を除くその余の前記認容損害額その他本件にあらわれた諸般の事情をしんしやくすれば、金四〇万円を本件事故と相当因果関係にある弁護士費用として原告の損害にあたると認めるのを相当とする。

四  以上の理由により、本件事故による損害賠償として、すでに支払ずみのもののほかに、原告に対し、被告ら両名が連帯して支払うべき人的損害額は、右三の12の受領ずみの保険金等控除後の損害額と同13の弁護士費用を合算した金八七一万九六九一円で、被告小松原光義のみが支払うべき物件損害額は、右三の8、9の損害合計金二四万二〇五〇円であるから、原告の本訴請求は、被告らに対し右金八七一万九六九一円および内、前記三の13の弁護士費用金四〇万円を除いたその余の金八三一万九六九一円に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四三年四月二一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払、および被告小松原光義に対し右金二四万二〇五〇円およびこれに対する前同日から前同一の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容するが、その余はいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項但書、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村利男)

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